2018.05.11
こんにちは。有難屋マガジンのよこちんです。
今回は東海道 品川宿→神奈川宿をご紹介します。今回目指すゴール地点は、かつて神奈川宿があった現在の横浜駅付近です。今回はどんな発見ができるのでしょうか?
東海道は長旅です。当然宿泊をしながらということになりますが、現在では旅館や民宿、シティホテルやビジネスホテルなど選択肢は多岐にわたっています。では江戸時代はどうだったかというと、当時も宿泊施設は多岐にわたっており、本陣・脇本陣・旅籠(はたご)・木賃宿(きちんやど)などがありました。中でも最も一般的で数も多く、武士や庶民で賑わったのが「旅籠」です。旅籠の中には「飯盛女(めしもりおんな)」と呼ばれる娼婦を置いていた宿も多く、弥次さん喜多さんも大変お世話になっていたようです。また「木賃宿」は薪代のみを払い、持ち込んだ食材で自炊をする素泊まりタイプの宿でした。
一方「本陣」は大名や公家、役人などの身分の高い人しか泊まることが許されない宿でした。「脇本陣」は本陣の予備的施設で、本陣だけでは泊まりきれない場合などに利用され、大名などの利用がない場合に限って一般客にも開放されました。今も昔も旅人の懐事情に合わせて宿を選べるのはありがたいですよね。
品川宿を後にして少し歩くと、立会川にかかる浜川橋が見えてきます。この橋、かつては「泪橋(なみだばし)」と呼ばれていました。この先にあった鈴ヶ森刑場に向かう罪人が最後に渡る橋であり、身内の者との今生の別れの場であったためにそう呼ばれたそう。そしてこの鈴ヶ森刑場は、江戸へ入る人達に対する犯罪抑止の目的で東海道沿いのこの場所に設置されたといわれています。
斬首した首を洗った井戸や、磔台の礎石などが今も残されている。
刑場跡を過ぎ、しばらく国道沿いを歩きます。この日はとても日差しが強く何も遮るもののない国道沿いの歩道は地獄です。太陽からの直射日光で上から焼かれ、道路の反射熱で下から蒸し焼きにされる・・・。せめて日陰を歩きたいと辺りを見渡すも、やはりそんなものは存在しません。適度な間隔をあけてポツポツと立ち並ぶ街路樹が、存在意義を見出せないまま自らの足元に僅かばかりの影を落としているばかりです。
諦めて歩を進めていると、かつて渡し船の往来で賑わった多摩川が。この川を渡るとそこは東海道2つ目の宿場「川崎宿」があった場所。現在、川崎の街中にかつての面影はほとんど残っていませんが、東海道かわさき宿交流館という施設で当時の川崎宿の様子を詳しく知ることができるのでおすすめです。
多摩川の下流部分を六郷川と呼ぶそう。多摩川なのに六郷川。ややこしいですね。
旧街道を歩いていると突然商店街が現れることがあります。今回のルートにもそんな場所が。鶴見線の国道駅を過ぎたあたり、多くの魚屋さんが並ぶ商店街です。ここは生麦魚河岸といって江戸時代から続いており、かつては江戸の将軍様に魚を献上していたそうです。僕が歩いたのは昼過ぎだったので魚屋さんは残念ながらほとんど閉まっていました・・・。残念。
生麦魚河岸通り。買い物をするなら午前9〜10時頃までに。
そして今回のルートの中で最後にもう一つ「東海道面影スポット」として紹介したい場所があります。神奈川県横浜市鶴見区生麦。そこは幕末に生麦事件※が発生した場所。住宅街を歩いていると案内板が突然現れるので見落とし注意です。
現在は住宅街の一角に案内板と碑が残っているのみなので、目に見える面影はこれといってありません。そんな時は目を閉じて…過去に思いを馳せましょう。
※馬に乗った数人のイギリス人が薩摩藩一行とすれ違う際に下馬せず、さらに行列に割って入ってしまった為に薩摩藩士に斬り殺されてしまった事件。この事件が原因で薩英戦争にまで発展してしまいました。
「生麦事件発生現場」は住宅街にあるので、訪問の際は迷惑にならないように。
事件跡を過ぎ、またしばらく国道沿いを歩きます。この日はとても日差しが強く何も遮るもののない国道沿いの歩道は地獄です。夕方になっても強い西日に顔面を焼かれる・・・。全身真っ黒になりながら国道沿いを歩きに歩いてやっとの思いで神奈川宿に到着です。
かつての神奈川宿に入ると横浜の高層ビルがが見えてくる。もうゴールはすぐそこ。
次回は神奈川宿から藤沢宿を目指します。次回はどんな「東海道面影スポット」に出会えるでしょうか。お楽しみに!
【所在地】神奈川県川崎市川崎区本町1-8-4
【開館時間】9:00〜17:00(月曜日休み)
【アクセス】「川崎駅」東口より徒歩約10分、京浜急行「京急川崎駅」より徒歩6分
ありがたや〜