有難屋マガジン

0

2018.06.29

【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。

旅・お出かけ

【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。
 

こんにちは。有難屋マガジンのよこちんです。
今回は東海道 神奈川宿→藤沢宿をご紹介します。
神奈川宿を過ぎると、東京や横浜といった都心部ではほとんど見ることができなかったかつての「面影」も次第に顔を見せ始めます。一体どんな面影に出会えるのでしょうか!?

 

街道を行く、旅人のチェックポイント。

街道歩きをしていると「どのくらい歩いただろう?」「あとどのくらいで目的地につくだろう?」そんな下衆なことばかり考えてしまいます。そんな時はスマホでチャチャっと検索すれば解決するんですが、はて?昔の人ってどうやって距離を確認していたんだろう?と思ったことがあります。
しかしそこは家康さん、ぬかりありません。主要な街道沿いに「一里塚」という目印を整備させました。読んで字の如く1里(約4km)毎に築かれた塚で、街道の両側に土を盛った小山を造り、その上に松や榎を植えたものです。これは距離を測るための目印の役割だけではなく、馬や駕籠の運賃の目安にも利用されました。また旅人にとっては木陰での休憩や雨宿りの場所としても重宝されたようです。
しかし現在、道路拡張工事などによって一里塚の多くは失われてしまいました。神奈川県内で現存しているのは「品濃一里塚」(後述)と「茅ヶ崎一里塚」だけです。箱根の「畑宿」にも復元された一里塚があり、かつてを偲ぶことができます。

 

浮世絵に観る、いまむかし。Vol.1

 
【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。

旧東海道、神奈川台町に残るかつてを偲ぶことができる景観。

 

今回は神奈川宿からの出発ですが、スタートして早々に面影スポットを発見!横浜駅西口を出て右手(横浜MORE’S側)に600mほど進んだところに「大鋼金比羅神社」という神社があります。この神社は旧東海道沿いにあり、古来より海の神様として横浜湊の発展に深く寄与してきました。このあたりは神奈川台町と呼ばれ、神社は台地の下にあり神社をすぎると急な坂道が始まります。スタート早々の坂道に辟易しつつ登っていますと、坂の左手に割烹やら料亭やら何やら敷居の高そうな店が立ち並んでいます。珍しい景観だなと思っていると、とある料亭さんの壁に案内板を見つけました。案内板には東海道中膝栗毛の一節と歌川広重の東海道五十三次「神奈川 台之景」の浮世絵が。
膝栗毛の一節にこうあります。「たどり行くほどに金川の台に来る。ここは片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下、桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし。」
この一節と下の浮世絵からもわかるように、かつては台地の脇まで海岸線が迫っており坂の片側に茶屋が並んでいました。時代の流れと共に茶屋は料亭へと変化し、海岸線は埋め立てられましたが往時の面影を偲ぶには充分です。

 
【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。

歌川広重「東海道五十三次 神奈川 台之景」。

 

江戸を発ち、初めての難所に挑む。

今回はスタートしてすぐに面影スポットがあり幸先が良いと思いましたが、そうは問屋が卸しません。しばらくの間黙々と旧東海道を歩きます。そして相模鉄道線天王町駅に差しかかると保土ヶ谷宿に入ります。江戸時代、帷子(かたびら)川に架けられていた帷子橋跡や旅籠や本陣跡などがあります。かつての宿場町に入ると何かしらの面影が残っていることが多いので(碑だけの場合も多いですが・・・)、宿場の面影を探してみるのも東海道歩きの醍醐味の一つだと思います。

 
【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。

天王町駅前に点在している「お侍さん」モチーフの車止め用のポール。

 

保土ヶ谷宿を抜け、普通の道をてくてく歩きます。てくてく歩いていると出ました!東海道最初の難所「権太坂」!
箱根駅伝をよく見ている方は「権太坂」と言う名前にピンと来るかもしれません。花の2区最大の難所が権太坂なんです。しかし学生たちが一生懸命走っているのは国道1号線にある新しい権太坂で、かつての権太坂は旧東海道沿いにあります。かつての権太坂は旅人が行き倒れるほどの難所で、亡くなった旅人を投げ込む場所があったそう。昭和の開発時、多くの人骨が発掘された為、旅人たちの霊を祀る「投込塚之碑」が建立されました。
旅人が行き倒れるほどの坂道を想像することは難しいですが、そこまでしてでも東海道を旅したかった当時の人々の気持ちは少しわかる気がします。

 
【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。

旧東海道沿いの権太坂入り口。ここから長い上り坂が始まる。

 

そして今回のルートの中で、一推しの面影スポットを紹介したいと思います。「品濃一里塚」と言って冒頭でも触れましたが、当時の旅人の里程標である一里塚です。現在一里塚が道の両側に完全な形で残っているのは非常に珍しいのです!!とても貴重なんです!!普通は道路の拡張工事等で失われるか、残ったとしても片方だけ、多くは一里塚跡という碑が残るのみ。両側に残っているということは道幅も当時のままということ。アスファルトを剥がしてしまえばそこはもう江戸の風景!!

 
【5日目】ほどよく保土ヶ谷通り過ぎ、戸塚にとっつかまらずに藤沢へ。

神奈川県指定史跡、品濃一里塚。

 

一里塚からしばらく歩くと戸塚宿に入ります。江戸時代、早朝に日本橋を出発した旅人の多くは、夕刻には戸塚宿に入り最初の宿泊地とするのが一般的だったようです。日本橋から戸塚宿まで40km以上。僕は1日20kmがいいところ・・・。江戸時代の人の健脚さには脱帽です。僕は戸塚宿まで3日かかっているので、1つ先の藤沢宿までもうひと頑張り・・・。

 

次回は藤沢宿→大磯宿

次回は東海道歩き初の1泊2日の旅。1日目の藤沢宿から大磯宿までをお届けします。お楽しみに!

 

【県指定史跡 東海道 品濃一里塚】

【所在地】神奈川県横浜市戸塚区平戸4丁目16-45
【開館時間】ー
【アクセス】「東戸塚駅」東口より徒歩約15分/p>
 

 
 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

ありがたや〜

\\ みんなの感想を聞かせて! //
簡単投稿できます。

コメントをする

コメントをどうぞ

  • 記事カテゴリー

  • 最近の記事

  • TAG