2018.11.14
NHKの番組『シルクロード』を見て以来、中央アジア・ウズベキスタンは私の憧れの場所でした。でも、いざ旅の予定を組もうとすると、どの都市も同じように素敵に見えて、どこに重点を置いてまわっていいのかわからない。今回は、自分の体験を踏まえてウズベキスタン4都市の個性の違いを極私的にご紹介します!
こんにちは。有難屋マガジンN川です。
仕事が繁忙期に入り、遊びに行けなくてネタがありません・・・。
そこで今回は、2012年(昔すぎる・・・)11月の中央アジア旅行の写真を使って
ウズベキスタンの4つの都市をご紹介したいと思います。
私のイチオシの都市は、
トルクメニスタンとの国境近くにある「ヒヴァ」です。
旅の醍醐味を非日常とするならば、私はこれほど非日常的な場所に行ったことがありません。
(あくまで日本人である私にとっての非日常なんですが)
ドラマチックな構図を選んでシャッターを切る、というより、
イチャン・カラと呼ばれる城壁に囲まれた街全体が
中世を舞台にした映画みたい。
ミナレット(塔)や宮殿だけでなく、
地元の人が家路を急ぐ通りや、干してある洗濯物まで、
ドラマチック!
私が帰る日には、家畜のバザールがあったらしく
通りをヤギやヒツジがウロウロしていました。
ウズベキスタンの中でも奥まったところに位置するため、
短めのツアーなどだと入っていないことも多いですが、
これぞ中央アジアの醍醐味!と思える場所です。
通りではチャンカチャンカしたウズベク歌謡(?)をかけて結婚式のお祝い行列が行われていた
『風の谷のナウシカ』に出てきそうな城壁
夜のカルタ・ミナル(未完成のミナレット)
青の都サマルカンドに比べて茶色い建物が多いと聞いていたので、
実はそんなに期待していなかった「ブハラ」。
でも、街のサイズは歩くのにちょうどいいし、
オアシス都市で水辺や緑はキレイだしで、
お気に入りの街となりました。
カラーン・モスクが気に入った私は、
帰る日の午前中にもう一度歩いてモスクを見に行きました。
そういう、ゆったりした観光のしかたが似合う街です。
オアシスの池・ラビハウズ
ブハラ・ハン(君主)専用に建てられたバラハウズ・モスク
カラーン・モスク。奥に見えるのがブハラのシンボル、カラーン・ミナレット
ブハラからの移動中、シャフリサーブスでの昼食
今回の4都市の中で、観光地として一番メジャーなのは
文句なしにサマルカンドでしょう。
ひとつひとつのモスクや建物は、本当に素晴らしいです。
ただし、都市としての規模が大きいせいで、
巨大ホテルや近代的なレストランなどがたくさんあり、
街としての“非日常感”は、ヒヴァやブハラに比べると今ひとつでした。
サマルカンドはウズベキスタン最大の見どころだし、
ここを省くわけにはいかないのですが、
サマルカンドに時間をたっぷりかけるために
ヒヴァやブハラを省略するのは個人的にはおすすめしません。
王道!レギスタン広場
クサム・イブン・アッバース廟の天井
シヨブ・バザール
首都タシケントは、私がウズベキスタンを訪れた2012年当時、
他の3都市とは別の国のように見えました。
街並みや建物のつくりに“旧ソ連の国”の雰囲気が感じられたからです。
「今、旧ソ連風の建物を中央アジアの元々の様式に近いものに
つくりかえていこうという風潮がある」と
ガイドさんも言っていたので、今は変わっているかもしれません。
シルクロードの歴史的都市を見ることが目的だった私は、
タシケントを通過点としか考えておらず、
ほとんど時間をとっていませんでした。
しかし! 「ウズベキスタン歴史博物館」に
足を踏み入れた私は激しく後悔しました。
石器時代からウズベク3ハン国
(ブハラ・ハン国、 ヒヴァ・ハン国、 コーカンド・ハン国)、
ロシア帝国の征服以後までの歴史展示、
東洋と西洋が融合したような仏像…。
まさに私が見たかった内容ではないですか!
旅の見どころは街だけじゃないんだなあ。
博物館の中身は、そりゃあ首都が一番充実してるよね。
しかし、私がこの場所に予定していた時間はたったの数十分。
涙ながらに博物館を後にしました。
第二次世界大戦の後にタシケントに抑留されていた日本人などが、建設に従事したと言われるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。
タシケントで観光したのは、ほぼここだけ
日本人の私にとっては非日常的な場所なのに、
どこか懐かしさも感じる中央アジア。
旅行に出るたび、大好きな場所が増えていきます。
有難いなあ。
(有難屋マガジン・N川)
ありがたや〜